みなさんこんばんは。
先日のファン感謝祭でよく分かったのですが,退団する選手の前で,感謝の気持ちを伝えようとしても,1/100も伝えられません。
だから,ナカニシは心を整えてから,ブログに書きます。
とは言っても,退団選手たちへの想いは,ブログと言うより選手への手紙です。
ちょっと変ですが,ラブレターかもしれません。
いや,ちょっと恥ずかしいのでラブレターは取り消します。
どこからか選手に伝わって,
選手がこのブログを読んで,
今じゃなくても,例えば5年後とかにでも読んでもらって,
自分がサポーターにどれだけ愛されていたかを少しでも感じてもらえれば・・・
恥ずかしながら,ちよっと嬉しいです。
三浦俊太郎 背番号32・33
(さあ行こうぜ,越えて行こうぜ,ミウラシュンタロウ)
加入した時に,キングカズの甥っ子で,三浦泰年氏の息子と言うことで,なんか話題になりました。
今だから言えますが,ナカニシはそれがたまらなく嫌でした。
ナカニシは,カズを見るより,俊太郎を見たいです。
200億倍くらい,俊太郎の方が見たいです。
と言うか,1人の選手が人生をかけて,汗を流してプレイをするのに,親や叔父が何の関係が有る?と思ってました。
俊太郎は俊太郎です。うちの大事な選手です。
俊太郎は不思議な選手でした。そして結構シャイでした。
鈴鹿に合流したときは,とにかく細くて,ごはんをちゃんと食べてるのか心配でした。
見知らぬ土地で,1人で暮らすのも大変だったでしょう。
ごはんも,洗濯も,仕事も,そしてもちろんサッカーも。
俊太郎はちょっと疲れているように見えました。
ほとんど試合に出られなかったですが,練習で見る限り,テクニック的に他の選手と差は無いと思いました。
めちゃくちゃ上手かったです。
しかし,鈴鹿の中盤には,和田篤紀と藤田浩平と言う,心身ともに強力な選手がいました。
なかなか試合には出られませんでした。
俊太郎は,毎日毎日,こつこつと自分を磨き続けました。
それは決して無駄になっていませんでした。毎年,毎年,見るたびに上手くなりました。
今シーズンのFC岐阜との練習試合で,息を飲むほどに成長した姿を見ました。
和田篤紀でもなく,藤田浩平でもなく,それは三浦俊太郎の作り上げた自分自身の中盤の選手の姿でした。
ナカニシの感じる初年度のJFLの印象は,「とにかくフィジカル重視」と言うものです。
ノーファウルの激しいタックル一発で,試合が決まることすらありました。
どれだけ鍛えても,体がなかなか太くならなかった俊太郎は,試合に出ることができませんでした。
そして最終戦。FC大阪戦で5分だけですが,JFLの土を踏みました。
鈴鹿での選手生活は満足の行くものではなかったでしょう。
試合に出られなくて辛かったでしょう。
どうして良いか分からず迷った時もあったでしょう。
ナカニシはそんな俊太郎を3年間見ていました。
そして,鈴鹿のサポーターは俊太郎をずっと応援していました。
選手としては引退するそうです。
残念ですが,それが俊太郎自信が決めた道ならば,ナカニシは応援するだけです。
俊太郎,また会おうぜ。
鈴鹿のサポーターは絶対に君を忘れない。絶対にだ!
俊太郎の前途に幸多きことを祈っています。
高野次郎 背番号8・3
(帰ってきた われらの次郎 鈴鹿のために いざ雄飛のとき)
2016年にヴィアティンに敗れ,あと一歩でJFL昇格を逃した翌年,次郎が鈴鹿に加入しました。
次郎を始めて見たのは,グリーンタウンでの練習でした。
設備の整っているいわきFCからの移籍だったため,こんな小さな練習場で練習させて,鈴鹿が嫌にならないだろうか?と,ちょっと心配してました。
ナカニシが最初に「おおっ!」と思ったのは,中京大学ので練習試合です。
相手のコーナーキックの際,
「ここでやられるなんて,ありえねぇぞ!」
って,ディフェンスに檄を飛ばしました。
若い新入団の選手が,何の遠慮もなく年上の仲間に指示を出しました。
これは良い選手が来たぞ!と思いました。
2017年は地域CL1次ラウンドで敗れ,その年末に次郎はVONDS市原へ移籍しました。
2018の地域CL決勝ラウンドは,2016年に苦杯をなめた「あの!」ゼットエーオリプリスタジアムで行われました。
そのゼットエーで戦うサポーターに,次郎が差し入れをしてくれました。
2リットルのアクエリアスをたくさんいただきました。
ナカニシはサポーターなるべく全員に,少しずつそのアクエリアスを汲んで渡しました。
サポーターが言いました。
「これは次郎からの力水だ。だから元気が出るぞ!!!」
そして,みんなでそれを少しずつ飲んで,1戦目,2戦目を勝ちました。
その時,心のどこかで,ちょこっと思いました。
「次郎,帰ってきてくれないかな・・・」
2019シーズンの鈴鹿に,次郎の元気な姿がありました。
いやー,嬉しかった。めっちゃ嬉しかった。
だけど,怪我が長引き,次郎はほとんど試合に出られませんでした。
選手会長として,選手をまとめる立場でありながら,無念でならなかったでしょう。
それでも,いつも元気にチケットの担当などをやってました。
入場ゲートで,ナカニシがチケットの画面を出すふりをして,変な画像を出すと,
「ナカニシさん,いっつもそれやん!」
って突っ込んでくれました。
でも,試合に出られない次郎がベンチ外で笑顔で振る舞っているのを見ると,ナカニシはちょっとだけ辛かったんです。
次郎は試合に出たいのに。
出たらすっごいプレイでみんなを沸かせるのに。
右足のロングフィード一発で逆サイドまでバシッと決めたいだろうに。
ナカニシは,次郎の笑顔じゃなく,勝負に挑む時の厳しい顔を見たかった。
最終戦のFC大阪戦に出場し,次郎の次郎しかできない見事なプレイをしました。
ほらね。次郎はできるんだよ。
ナイスプレイ。次郎。
試合後に,
ちょっとだけ次郎は泣いてました。
ナカニシは泣きませんでした。
その姿を見て,引退・・・と言う言葉が頭をよぎりましたが,それは考えたくありませんでした。
だから,
「もっとやれるぞ!来年もっと行こうぜ!」
と声を出したと思います。
鈴鹿サポーターの想いを一身に受け,次郎はサッカー選手として立派に雄飛しました。
引退して,次の道を進むそうです。
次郎なら,なんだってできます。
だって,俺たちの,鈴鹿の次郎ですから。
次郎,ガンバレ!
何も言わなくても,絶対にまた会うよ。
前途に何があっても突き進め。その先にはきっと良いことが有るはずです。
「曇りなき心の月を先だてて 浮世の闇を照らしてぞ行け」
サポーターは無力です。
この時期,選手たちに何もして上げられません。
ただ,ただ,毎日のように,選手たちの幸せを祈るばかりです。
ではまた。
(お知らせ)
選手たちを応援する横断幕をたくさん預かっています。
作成していただいたみなさん,本当にありがとうございました。
これらの横断幕は,選手たちをきっと勇気づけた事だと思います。
退団した選手の横断幕は,下記の3通りの取り扱いとさせていただこうと思います。
①作成者の方に返送いたします。
②移籍したチームのサポーターに引き次ぎます。
③ナカニシが生きている限り保存します。
この3つのうちどれかです。
ナカニシが所有者の連絡先を知っている場合は,メールやDMなどで連絡させていただきますが,不明の場合は,お手数をおかけしますが,下記まで連絡ください。
↓
miracle_fcsuzuka@yahoo.co.jp
①の場合は,返送先の住所とお名前をお知らせください。
②の場合は,ナカニシが全力で次のチームにお届けしますが,外国や相手先に受け手が居ないなどの場合,③の保管とさせていただきます。
横断幕ありがとうございました。
大事に使わせていただきました。心より感謝いたします。