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アトレチコ鈴鹿クラブ(JFL)のサポーターブログです。

鈴鹿の闘将 大久保龍太

みなさんこんにちは。

平成29年1月12日。
継続選手の発表と共に「鈴鹿の闘将」大久保龍太選手の退団が発表されました。

大久保選手は鈴鹿にチームができる以前,名張に本拠地があった時から,MIEランポーレに所属していました。その前はⅤファーレン長崎に在籍していたと思います。

カニシが始めて会ったのは,鈴鹿にチームが来て最初の練習の夜でした。


1年目(H21)
最初に会ったのは,平成21年2月11日。寒い寒いホンダアクティブランドのグラウンドでした。
その当時はロングヘアーで颯爽としており,とても怖い顔をしていた印象があります。
当然のようにチームの大黒柱で,当然のように圧倒的なキャプテンでした。
今となっては不思議な気もしますが,初年度の大久保は,サポーターや観客に笑顔を見せる事はほとんどありませんでした。
試合後に話をしていても,心はいつもグラウンドにあって,目線は次の試合を見ているような感じでした。
練習に対しても非常にストイックで,準備運動から激しく気迫のこもった練習をしていました。
大久保は本当に「鬼」でした。
鈴鹿1年目で,初めてチームは千葉県で行われる全国社会人選手権に出場し,1回戦で負けました。
その夜,千葉の中華料理屋で男泣きに涙しました。
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2年目(H22)
契約更新のときに坊主頭となりました。
背番号も4番から15番になりました。
キャプテンでも無くなりました。
チーム内でなにがあったのか分りませんが,全く変わらず大久保はチームの中心でした。
選手を鼓舞し,選手の声を代表し,チームの顔であり,チームの象徴でした。
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3年目(H23)
チームの顔としてだけでなく,国体や三重県サッカーの普及に関することにも取組んでいました。
国体チームでプレイしても,チームの中心は大久保でした。
国体の試合を見に来ていた他県の観客が言いました「あれが大久保・・・強ぇぇ・・・」
カニシはとても誇らしい気持ちでした。
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4年目(H24)
一つ一つ積み重ねながら,チームは少しずつ強くなりました。
鈴鹿にチームが出来て4年目で初めて東海リーグを優勝しました。
岐阜セカンドとの最終戦の首位攻防戦で,大久保のヘディングシュートが炸裂しました。
その年,初めて地域決勝(現地域CL)に出場して3連敗しました。
全国の壁,JFLへの壁を感じましたが,大久保と共にいつか越えられると思っていました。
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そして・・・満を持して挑むはずの5年目。チームに大久保の姿はありませんでした。


5年目(H25)
鈴鹿を退団した大久保はヴォルカ鹿児島(現鹿児島ユナイテッド)に移籍しました。
鈴鹿を離れる年の初め,ナカニシと一緒にスポーツガーデン(現三交スポーツの杜)で初日の出を見ました。
ヴォルカ鹿児島に在籍している間も,大久保の魂は鈴鹿にあるとナカニシは勝手に思っていました。
いつか帰ってくる気がして仕方がありませんでした。
ヴォルカ鹿児島が,その年に地域決勝に出場した際,四国まで大久保を見に行きました。
試合に出ていませんでしたが,元気そうな姿を見て嬉しく思いながらも,他チームのユニフォームを着ているのは少し悲しい気持ちでした。
手土産は,鈴鹿の銘酒「鈴鹿川」です。
鈴鹿の米と鈴鹿の水で作った酒が飲みたいだろうと勝手に思いました。


6年目(H26)
鈴鹿に大久保が帰ってきました。
鈴鹿のセレクションをイチから受けて,それを合格しての復帰です。
大久保が帰ってきた事で,何か良い方向に向かうのではないかという気がしました。
このシーズンの大久保は,ほぼ全試合フル出場し,2度目のリーグ優勝を成し遂げました。
地域決勝1次ラウンド(地域CL)は,あと少しというところで決勝ラウンド進出を逃しました。
全国の壁,JFLへの壁は,少しだけ,ほんの少しだけ,低くなった気がしました。
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7年目(H27)
この年からチームの経営母体が変わりました。
スクールやフロントの体制も激変しました。
いろんなところで問題が起きて,あっちこっち大変でした。
大久保は選手としてと言うよりも,チームの顔としていろんな場面で,いろんな人に説明したり,話を聞いたり,意見を聞いたりしていました。
苦労もあったでしょうが,嫌な顔ひとつせずチームのため仲間の選手のために,チームの前に立ってがんばっていました。
チームのためになるならば,何だってしてました。
サンタクロースになったり,いろんな団体に頭を下げてまわったり,選手の仕事先を探したり・・・,
初年度は鬼のようだった大久保の顔は,徐々に変わっていきました。
常に笑顔で観客に接し,写真ではおどけている姿も見られました。
シーズンを通して,7試合しか試合に出ていません。
特に終盤はベンチにも入れない試合が多くなりました。
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8年目(H28)
昨シーズンは,選手兼コーチ兼スーパーバイザーという立場になりました。
大久保の心中は分っていました。選手にこだわりたいと思っていたはずです。
しかし,チームの選手を代表するスーパーバイザーと言う立場は,大久保にしか考えられませんでした。
でも,いろんな部分で不本意なシーズンだったと思います。
プレイに集中できなかったでしょう。
慣れないフロント業務も大変だったでしょう。
失敗もたくさんしたことでしょう。
観客やサポーターと話す機会が増えました。
ニコニコしながら「いつも応援ありがとうございます」ときちんと挨拶してくれました。
そして,鈴鹿8年目は一度も公式戦のグラウンドに立ちませんでした。
カニシが見たかった,「本物の鬼の大久保」,「眼を見ていられないほど怖い大久保」の姿は最後まで見ることができませんでした。
千葉で行われた地域CL決勝ラウンド帯同選手の中に,大久保の姿はありませんでした。



鈴鹿での出場試合数は109試合(ナカニシ調べ)で,得点は7得点です。

大久保への想いは,言葉では言い表せません。

今,大久保に会ったとしても,まだ,なんと言って良いのか言葉が見つかりません。



鈴鹿でプレイし,チームを地元に根付かせ,一生懸命がんばりました。
その姿と,その功績は,絶対に忘れる事はありません。

大久保の想いも共に,今後もナカニシは鈴鹿アンリミテッドを応援したいと思っています。

大久保龍太よ。

また会おう。

ありがとうございました。
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ではまた。