VictoryCross

アトレチコ鈴鹿クラブ(JFL)のサポーターブログです。

元気でな!。また会おうぜ!

退団選手のことを考えながら,夜を明かしています。

彼らの前途に幸多きことを,心より願っています。

こんな選手が辛い時に,サポーターは祈るしかできなくて,ごめんな。



岡田明久(23)GK
イメージ 1

「今年,市原で絶対に昇格する」
それはみんなの願いでした。
でも,ほとんどのサポーターには,もうひとつの願いがありました。
「岡田の忘れ物を取りに行こう。そして岡田の笑顔を見よう」
2年前の千葉市原の最終戦,4失点でヴィアティン三重に敗れて,JFL昇格を逃しました。
その時のゴールキーパーが岡田です。
そして敗戦の時,彼はあっち側のゴールから立ち上がれませんでした。
みんな落ち込んでいましたが,4失点のゴールを守っていた岡田は立てないほどのショックでした。

平成28年に,最初にプレイを見たのは,第3グラウンドです。
奥側のゴールで,月成選手と練習していました。
最初のシーズンは2人しかゴールキーパーがおらず,月成選手とポジションを争いました。
自分がスタメンから外れると本当に悔しがっていました。
ガーデンのスタンドから,監督と話をする岡田をナカニシは見ていました。

飛びぬけてイケメンで,恐れ多いほどでした。
AGFの入り口では,いつもファンに取り囲まれていました。
平成28年は水戸ホーリーホックからのレンタル移籍です。
そして,前述のように市原に忘れ物をしてきました。

平成29年もシーズン途中からレンタルで鈴鹿に来ました。
岡田はオールラウンドに高い能力を持つゴールキーパーでした。
だから,レンタル先は他にもあったと思います。だけど鈴鹿を選んでくれました。
ただ,その年は怪我でなかなか出られませんでした。
でも,岡田はベンチから戦術の指示を細かく送っていました。
セットプレイ時のマークや,選手交替時のマークなど,ボードを片手に指示を飛ばしていました。
ゴールキーパーでスタメン出場していなくでも,みんなと全力で戦っていました。
その姿は,28年の様に,スタメンを外れて悔しがっていた岡田ではなく,ベンチであってもチームの勝利のためにがんばる岡田でした。
そして,ナカニシはそんな岡田が大好きでした。

29年は,栃木で地域CLが終わり,チームは地元のイベントにいろいろ参加しました。
その中で,石薬師高校のイベントでは,グラウンドが雨のため使えず,体育館の舞台上でのトークショーに変更されました。
持ち時間は1時間。選手のトークショー?大丈夫?
メンバーは,岡田明久,矢野純平,近藤和哉という3人だったと思います。
イベントが心配で,ナカニシはその場所に来ていたサポーターと,質問タイムの時の質問を一生懸命仕込みました。
そして,どれだけ話が滑っても,笑って拍手しようと心構えをしていました。
でも,岡田は軽快なトークで,そのイベントを爆笑の渦に巻き込み,大盛況で終わらせました。
そこにいる岡田は,水戸からレンタルで移籍してきた,ちょっと話しにくいイケメンではなく,地域に愛されるサッカーチームを作るために,一生懸命なナイスガイでした。
カニシは岡田がもっともっと好きになりました。

平成30年は完全移籍しました。
岡田が完全移籍した理由は,サポーターなら良く分かります。
地域CL決勝の千葉市原開催の最終年度に,忘れ物を取りにいくためです。
この年,曵地,月成,高宮,岡田と通常考えられない豪華なゴールキーパー陣が4人そろいました。
全ての選手がハイレベルで,誰が出てもおかしくない陣容だったと思います。
岡田は,出場機会こそ少なかったですが,やっぱりベンチから的確な指示を送っていました。
相手のセットプレイの際は,ベンチの一番前まで出て指示を送りました。
そして,最高のゴールが決まると,真っ先にベンチを飛び出しました。

大学の通信課程を続けていたそうです。
夏の試合の時に,卒業論文で使うためのインタビューを受けました。
「一番記憶に残った試合は?」と岡田に聞かれたので,
カニシは「未来の日だけど,今年の11月25日になるはずです」と答えました。
「そうきましたかー」と岡田が笑いました。

そして千葉市原で,岡田は忘れ物を見つけました。
最高の笑顔を見せてくれました。
試合後,ナカニシは,もう声が出ないそのノドで,岡田の名前を叫び続けました。
岡田,岡田,岡田,岡田,良かったな。良かったな。
やったったよな!

最後のファン感謝デーで,ナカニシは退団する選手に顔を向けることができず,ずっと作業しながら忙しいフリをしていました。
本当は,選手達の姿を横目で見ながら,ずっとずっと悲しくて仕方ありませんでした。
真っ直ぐ見ると涙が出そうなので,イスとか机とか運んでいました。
岡田は「ナカニシさん,避けてるでしょ(笑),気づいてましたよ」と言って握手しに来ました。
その時,ナカニシがどんな気持ちだったか分かりますか?
その鈴鹿のゴールを守ってくれた手を,どんな気持ちで握ったか分かりますか?

サッカーは引退するそうです。
だけど,そんなことでサポーターと選手との熱い縁が切れるわけがありません。
岡田,ナカニシは一生君のことを忘れない。
だから,いつでも鈴鹿に来てください。ナカニシはスタンドにいます。
そして,岡田に最後に言う言葉は・・・。

そう!
情熱!!!



パブロ(26)FW・MF
イメージ 2

パブロを見たのも第3グラウンドです。
九州の得点王(カテゴリーは良く知りません)が来たという騒ぎで,サポーターの期待は高まっていました。
九州から来たバブロは,威風堂々としており,実は大卒組より若いにもかかわらず,もの凄く大人びて見えました。
肩幅が広く,ガッチリしていて,それほど高さは無いのですが,競合いで無類の強さを誇りました。

ブラジルの選手にどうやって声をかけて良いか分かりませんでしたが,なんかとても人懐っこく,陽気で,笑顔の多い選手でした。

藤枝市民での藤枝市役所との試合で,パブロのシュートがゴールバー当たった際,「なんでだよー」と大きな声で言いました。
見ていたサポーターが,「いやいや自分のせいやん」って突っ込みました。
なんかパブロのサッカーはとても楽しくて,たとえミスしてもとても楽しくて,明るいサッカーでした。

カニシが練習を見に行くと,不思議と高確率で中野晃希選手(昨年退団)と激しく競合っていました。
パブロのプレイの特徴は,全身を使うことです。
なので,とにかく手の使い方が上手いと選手から言われていました。
能力は抜群のパブロでした。
練習の時の迫力も抜群でした。
だけど,なかなか結果が出せず,たとえ点を取っても次の試合でパフォーマンスが維持できませんでした。

サポーターは,本当のパブロの力を知っているだけに,熱く!激しく!応援しました。
「なにやってんだ!走れーっ!」って叫んだ事も少なくありません。
みんなパブロがチャンスをつかんで,喜んでこっちに手を振るのを待っていました。

鈴鹿にはブラジルの選手が3人いました。
藤沢ネット選手,エフライン・リンタロウ選手です。
3人はとても仲良くしていました。
選手たちの仲の良い姿を見るのは,サポーターはとても嬉しいです。
全社や地域CLなど,遠征時も仲良くやっていた事でしょう。
そん中心にいたのが,一番最初に鈴鹿に来たパブロです。

鈴鹿に4年いました。
その間の得点は16点です。
フォワードとしてその数字は少ないのかもしれません。
だけど,みんなで声をそろえて叫んだ16点です。
オレ!パブロヤンフェレイラ!
オレ!パブロヤンフェレイラ!
オレ!パブロヤンフェレイラ!

呪文のようなこの言葉が,鈴鹿のグラウンドから聞こえなくなるのは寂しいです。

陽気な外国人パブロ。
君の事を忘れるわけが無いだろ!

いつも前向きに。
いつも笑って。
ガンバレ!また会おう。
Tchau até mais tarde!



さよならは別れの言葉じゃないらしいです。

再び会うまでの約束らしいです。

でも,さよならは言わないぜ!

カニシはスタンドに立ち続ける。

だから,いつでも待ってるよ。

また会おう。

ではまた。