VictoryCross

アトレチコ鈴鹿クラブ(JFL)のサポーターブログです。

ありがとう。また会おう!

どんな時でも選手のことを考えています。

そして,辛いですがナカニシは彼らに言わねばなりません。

ありがとう。

また会おう。



伊藤竜二(14)FW・MF
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東海社会人1部リーグに昇格した平成22年は,めちゃくちゃたくさん選手がいました。
全部で38人。前年から残った選手が10人。新入団選手が28人です。
その28人のうちのひとりが,竜二でした。
高校を出て,兄の伊藤駿祐選手と一緒に入団しました。
あまりの選手の多さに,ナカニシは誰が誰やら分からず(当時はチラシも無く,ホームページも不十分だった),竜二を確認できたのは,初出場の時でした。
ひときわ体が小さく,細かった竜二の先発は,実は・・・最初ちょっと不安でした。
ただ,どの選手に聞いても,「竜二は天才です」と言っていました。

天性の才能を持つ,そのドリブルは,人類の目では捉えられず,相手はボールを触れることもできませんでした。そのため,ファウル覚悟で激しく当たられました。
その結果,竜二は,どうしても怪我か多くなりました。そしてその怪我は,天才のプレイする時間を無情にも削っていきました。

平成25年に一度チームを離れました。
でも,ナカニシは分かっていました。竜二の心はずっと鈴鹿にあることを。
その平成25年は,ナカニシも諸事情により鈴鹿の試合を見に行かなかったので,奈良まで竜二と伊藤駿祐選手の試合を見に行きました。
グラウンドそばの土手の上から見ていたナカニシを,試合前に竜二は見つけてくれました。
そして,その試合,誰が見ても明らかなくらい,強引に点を取りにいっていました。
カニシには分かっていました。竜二がナカニシのために点を取りに行っていることを。
そして,きっちりゴールを挙げて,こちらに手を振りました。
その時の,ナカニシの気持ちが分かりますか?

平成26年に鈴鹿に帰ってきました。
嬉しかったー。めちゃくちゃのめちゃくちゃ嬉しかった。
その年の三重県選手権決勝。ヴィアティンとの対戦。1-2で押されていた試合で,竜二が途中出場しました。
竜二のドリブルは,風を切り裂き,ヴィアティンDF3人を一気に抜き去り同点ゴールを挙げました。
あれは凄かった。最高でした。

竜二をミラクルドラゴンと言うのは,なぜだか知っていますか?
ラクル=奇跡ではありません。竜二のプレイは奇跡ではありません。竜二の実力です。
ラクルと言うのは,ナカニシの昔から使っているハンドルネームなのです。
そのため,ナカニシのメールアドレスは,「miracle_fcsuzuka@・・・」なのです。
カニシが自分の名を付けたくなるような選手,それが伊藤竜二です。

平成27年に前十字靭帯を手術しました。そして,今年の夏,再び前十字靭帯を手術しました。
竜二が辛い辛いリハビリをするならば,ナカニシはジッとしていられません。
一緒に筋トレを始めました。その筋トレが「#RC」竜二チャレンジです。
筋トレは,めんどくさくて,止めたくて仕方が無いですが,竜二の復帰までの間,ナカニシは共に辛い思いをします。
11月11日は竜二の誕生日です。
この日は,11人と11人で試合をするという意味で,サッカーの日らしいです。
サッカーの申し子,伊藤竜二にふさわしい誕生日です。

竜二,ナカニシは今,なんと言っていいか分からない。
あれほど,いろんな言葉で竜二を応援してきたナカニシが,今,君にかける言葉が見つからない。
ごめん。やっぱり,いい言葉が出てこない。
ガンバレ。竜二。
そして,また会おう。



近藤和哉(18)FW・DF 引退
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近藤和哉と言う名は,努力の象徴です。
この名前だけで,ナカニシはグッと来ます。
鈴鹿は,24年に初めて地域決勝に出て,25年に選手の大量退団があって(ナカニシ半年休み),26年に和哉が入団しました。
25年にリーグ戦6位になって,立て直しをはかる年でした。

入団当時,ナカニシは練習には一切行っていなかったので,始めて見たのは三重県社会人選手権です。
背番号9番を付けていて,期待の新人でした。
実際,体は強く,足は速く,サッカーも上手かったです。
ただ,なぜか不思議と運が悪く,結果を出せませんでした。
しかし,和哉は下を向かず,ずっとサッカーに打ち込みました。

平成27シーズンはセンターバックにコンバートされた時期もありました。
和哉はフォワードなのに・・・と思いました。
なかなか結果を出せませんでした。
いや,結果を出しても,点を取っても,スタメンに定着できませんでした。
実はナカニシはこっそり悔しく思ってました。
そして,和哉が点を取ったときは,監督に聞こえるようにめちゃくちゃ大声で和哉のチャントを歌いました。

今年は,右サイドバックにコンバートされました。
和哉はフォワードなのに・・・ナカニシはまた思いました。

でも,どんな時でも,和哉は練習を止めませんでした。
チャンスは平等ではありません。でも,チャンスは必ずやってきます。
和哉は,その1秒のチャンスをつかむために,毎日毎日トレーニングをしました。
これだけトレーニングしたら,マンガの世界なら必殺技ができちゃいます。
和哉の必殺技は「努力」でした。その必殺技はあまりにまぶしくて,見ていて辛くなるほどでした。

鈴鹿アンリミテッドで一番マラソンが早いのは誰か知っていますか?
ダントツで和哉です。ブッチギリで和哉です。
そしてその肉体は鋼でできています。
見事に鍛えられた肉体は,和哉がこれまでどれだけがんばってきたかを表しています。
体を削り,磨き,叩き上げ,作り出された芸術のようでした。

鈴鹿の歴代得点ランキングです。
1位北野純也選手,2位中村豪選手,3位リンタロウ選手。
4位は近藤和哉です。堂々の4位です。
和哉は得点ランキング4位だぞ!!!

5年間,辛い事のほうが多かったと思います。ポジションを変えられるということは,自分のサッカーを否定されるような気になったかもしれません。
厳しく,辛く,悲しく,汗と,涙と。
そんな時でも,和哉はサポーターにニッコリ笑いました。
歯が白くて綺麗でした。

引退は寂しいですが,和哉は鈴鹿以外でサッカーをするつもりはないと言っていました。
その言葉が,ナカニシの胸突き刺します。
嬉しいし,寂しいし,何とも言えません。

和哉,和哉,近藤和哉。
良い男だぜ!!!このやろー!!!
サッカーは無限です。
そして人と人とをつないでくれます。
和哉。また会おうぜ!絶対だぞ!



竜二,和哉,ナカニシが大好きな選手たちの前途に幸多きことを祈ります。

ずっと祈ります。

復帰まで筋トレします。

ではまた。