VictoryCross

アトレチコ鈴鹿クラブ(JFL)のサポーターブログです。

藤田浩平のプレイに間違いなし!

カニシは,これまでサポーター生活を12年間やってきました。

たくさんの選手がいる中で,最も信頼していた選手は藤田浩平です。

「藤田のプレイに間違いなし!」

この言葉を何度ブログに書いたか分かりません。

その藤田浩平(6)が鈴鹿を退団します。

何を書いていいのか,まだ分かりませんが,思ったまま書いていきます。

 

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2016シーズンが終わった後,鈴鹿はキャプテンと副キャプテン2人の,合わせて3人が他チームへ移籍しました。

だから,2016年の年末,ナカニシはがっくりしてました。

 

そこに現れた希望の光が藤田浩平です。

明けて2017シーズンのキックオフパーティで,藤田を始めて見ました。

その場で彼は,「JFLに昇格します。これは決まっています」と言いました。

「頑張ります」「全力を尽くします」ではなく,意志を持ってはっきりと言い切りました。

誰だってハードルは低いほうが良いです。それを越えられなければ批判もあるし,自分自身も傷つきます。

だけど藤田はJFLに行くと言いました。

そして,自分の言ったことを実現しました。

 

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2017

初めて藤田を見たのは,前述のキックオフパーティの記憶からです。

不思議と,プレイを始めて見た時のことを覚えていません。

たぶん,第3グラウンドで見ていると思うのですが,その時の印象が無いです。

今なら,藤田が初めの方の練習で目立たなかった理由が分かります。

藤田は,チーム全体や仲間のプレイを観察していたのだと思います。

 

当時のキャブテンは,堀河俊大選手でした。

カマタマーレ讃岐で一緒だった藤田は副キャプテンとして,堀河キャプテンを良く支えていました。

藤田の行動には,「いち選手」「いちプレイ」ではなく,全体を見渡すようなキャプテンシーがありました。

2017シーズン。鈴鹿は快進撃を続け,東海リーグ制覇,そして三重県勢として初めて全国社会人サッカー選手権優勝を成し遂げました。

2016年末には,このチームはどうなってしまうのだろう・・・と心配していましたが,見事な成績で地域CLに進出することができました。

チームを立て直したのは,たくさんの選手たちの頑張りのたまものですが,そこに藤田がいたことも大きな要因だったと思います。

 

残念ながら,地域CL1次ラウンドを突破することはできませんでしたが,一時は遠のいたと思ったJFLがまた近くになったような・・・,翌年につながる素晴らしいチームができていました。

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2018

藤田の活躍は「完璧」と言う言葉しかありません。

鈴鹿は開幕から連勝を続け,三重県選手権でヴィアティン三重を撃破し,東海リーグを連覇しました。

藤田は当然のように,チームの中心の中心になりました。

カニシは,藤田の事を「鈴鹿の心臓」と例えました。

ゲームを作るそのプレイは,心臓に動脈と静脈があるように,ボールが血液とするならば,攻撃も守備も藤田から始まっているようでした。

 

鈴鹿は地域CL決勝ラウンドに進出し,そしてとうとうJFL昇格を成し遂げました。

藤田自身も,決勝ラウンドで見事なミドルシュートを決めました。

10年かかって,やっとやっと這いつくばって進むようにJFLに昇格しました。

 

この年の年間VictoryCross大賞の受賞者は,もちろん藤田浩平です。

どうだ見たか!鈴鹿には藤田がいるんだぞ!

カニシの自慢の選手でした。

藤田と共に戦えることが誇らしくて仕方がありませんでした。 

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2019

初のJFLへの挑戦は波乱の幕開けでした。

昨年まで指揮を執っていた辛島監督が退任し,ずいぶん遅くなってから,ミラ監督が就任しました。

チーム作りは遅れに遅れていました。

藤田はキャプテンとして,ミラ監督や岡山コーチとよく話をしていました。

練習後,長い時間,厳しい顔をして話していました。

新入団の選手も多く,藤田はプレイだけでなく,キャプテンとしても大変だったと思います。

 

JFLでは,鈴鹿はあまり勝てませんでした。

降格寸前の位置が定位置でした。たくさん負けました。

試合終了間際に失点して,選手たちは下を向きながら帰る日々でした。

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敗戦が続く中で,藤田は選手たちにキャプテンとして「檄」を発したそうです。

選手をけなしたり,ダメ出しをしたり,激怒して言葉を発したのではありません。

「俺たちはこんなもんじゃない。もっとできる」

カニシは直接聞いていないのですが,彼はそう言ったそうです。

このことを聞いたとき,とても藤田らしい言葉だと思いました。

そして,それを言えるのは藤田だけでした。

そこから鈴鹿は,勝利に向けて再び戦えるようになりました。

 

さすが藤田だ。藤田がキャプテンだから大丈夫だと思ってたぜ!へっへーん。

カニシは,そう思っていました。

藤田キャプテンを,とても信頼していました。

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2020

コロナウイルス感染症の中で,通常では考えられないほど難しいシーズンとなりました。

半年以上試合ができず,選手たちのストレスや不満も相当だったと思います。

また,コロナの不景気で,選手たちの生活も大変なことだったと思います。

シーズンが始まったら始まったで,鈴鹿は一時,最下位となるほど勝てませんでした。

だけど,藤田がこのまま終わらないことは,ナカニシには分かっていました。

大丈夫。俺たちはこんなもんじゃない。 

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そして終わってみたら,鈴鹿は5位でシーズンを終えました。

でも,最終節に藤田の姿はありません。

足を怪我して,試合に出られなかったためです。

あの試合に藤田がいたら・・・。

もしもの事を,どうしても考えてしまいます。

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藤田と共に戦ったのは4年です。

ただ,本当に濃密な4年でした。

2017のチーム再建。

2018のJFL昇格。

2019の初JFL

2020のチーム名変更とコロナ禍。

藤田,いろんなことがあったよね。

 

2017シーズン。32試合中30試合出場

2018シーズン。32試合中29試合出場

2019シーズン。32試合中32試合出場

2020シーズン。17試合中16試合出場。

4年間で107試合。出場率は94%。そのほぼ全てがフルタイムの出場です。

でも,この数字に表れない部分で,もっともっとチームに貢献してくれていました。

文字通り,絶対に止まってはいけない鈴鹿の心臓でした。

たくさんの笑顔と涙を,サポーターと共にしました。 

 

カニシにとって,藤田がグラウンドにいることが当たり前になっています。

だから,ずっと鈴鹿にいてくれるような気がしていました。

その分,退団が心にキツイです。

 

4年の間に監督が4人変わりました。

小澤監督。藏川監督代行。辛島監督。ミラ監督。

監督が代わっても,藤田は常に必要とされ,試合に出続けました。

監督の戦術を,いち早く理解して体現できるほど,サッカー頭脳も素晴らしい選手でした。

 

激戦の中で,体が満身創痍だったのは知っています。

毎試合,ヘトヘトに疲れていたことも知っています。

試合の日は,一番早く会場入りして,トレーナーの施術を受けていました。

 

試合で得点が入り,みんなが喜んでいる時,1人でセンターサークルに入って,試合のリスタートを止めていました。

 

試合中に藤田の出す声の指示は,全て「うんうん」と納得の指示でした。

 

完全にルックアップして,胸を張ってプレイをする選手でした。

 

つぶらな瞳をいじられてましたが,その視野の広さは世界最大級です。

 

お好み焼きは,四角くひと口サイズに切るそうです。

 

関西人で突っ込みタイプでした。でも,ボケの要素も大いにありました。

 

サッカーに対して誰よりも真剣で真面目でした。

 

サッカー以外では親しみやすい穏やかな性格でした。

 

カニシの甥の下の名前はコウヘイです。

 

世界中に大声で自慢できる,大事な大切な鈴鹿の選手でした。

 

チームが勝てなくて苦しい時。

怪我で辛かった時。

選手と監督とフロントの間で板挟みになった時。

契約更新で悩んだ時。

カニシは何もしてあげられませんでした。何もできませんでした。

ただ,ただ,無我夢中で,ノドが潰れるまで声を出して,藤田のプレイを全力で応援することしかできませんでした。

  

藤田の退団コメントには,こう書いてありました。

「Jリーグに行くには,選手の力,監督,コーチ,スタッフの力,フロントの力,サポーター,ファンの力,スポンサーの力,全ての力が必ず必要です」

カニシは「全ての力」の中には,これまで鈴鹿で戦ってきた選手達の力も,入っていると思います。

だから,いつの日か,Jに行くときには,ナカニシは必ず藤田の事を思い出して感謝します。

藤田が鈴鹿でプレイしたことは,鈴鹿の歴史の大きな1ページです。

カニシは,死んでも藤田のプレイを忘れません。

 

サッカーで人と人とはつながっていると信じています。

だからまた,藤田とはどこかで会うでしょう。

でもその時「うちの藤田がさ~」と藤田のプレイを自慢できないのが寂しいです。

 

ありがとう。「鈴鹿の心臓」藤田浩平。

その前途に幸多きことを祈ります。

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藤田のプレイに間違いなし!