VictoryCross

アトレチコ鈴鹿クラブ(JFL)のサポーターブログです。

ハラショー,また会おうぜ!

みなさんこんばんは。

さて,ナカニシがせっせと年末進行の仕事に苦しんでいる間・・・。
たくさんの公式発表がありました。

退団選手,継続選手・・・数々ありますが,今日はたった1人のためだけにブログを書きます。



鈴鹿の中心核。

ハードコア。

佐賀の風来砲。

ザ・キャプテン。

2012年間victorycross大賞受賞者。

SBH団員。

彼が鈴鹿にいてくれたことを誇りに思います。



原祥太郎選手。背番号4番




俺たちのハラショーが引退することとなりました。



彼が鈴鹿に来たのは2010年です。
今でもはっきり覚えています。

大学が同じだったGKの北井太陽選手とセレクションを受けに来ていました。
チームが鈴鹿に来て2年目のセレクションは,今考えてもなかなかの盛況で,30人以上のハイレベルな選手が集まっていたと思います。

原祥太郎選手は,セレクションの後に配られるお弁当を食べ終え,その容器を捨てるため,三交スポーツの杜の広場でゴミ箱を探していました。
スーツを着て大きなカバンを持ち,これから帰路につくためか少し急いでいました。
あの広場を知っている人なら分かると思いますが,あそこにはゴミ箱がありません。

カニシは原選手から,その空のお弁当容器を「捨てといてあげるから」と,受け取りました。
容器を受け取ったナカニシに対して,原選手はとても恐縮し,「すみません,すみません」と何度も言いました。
「セレクション受かって,来年から一緒に闘えたらいいね」
とナカニシは言いました。

そして,2010年から鈴鹿で共に闘うことになりました。

2010年 全22試合中,14試合に出場

2011年 全23試合中,13試合に出場

2012年 全27試合中,25試合に出場

2013年 全16試合中,16試合に出場

2014年 全26試合中,25試合に出場。

5年間で合計93試合に出場しました。
得点は7得点です。
(数字は全てナカニシ調べ)

2012年は年間victorycross大賞を受賞し,さらにチームを東海リーグ初優勝に導きました。

素晴らしかった。
原祥太郎のプレイは本当に素晴らしかった。

原選手がポジションを前に上げればチームは攻撃的になり,原選手が少し下がってディフェンスをすれば,鈴鹿の守備は鉄壁となりました。
まさに鈴鹿の中心でした。

アシストもたくさんしています。
ミドルシュートも見事でした。
相手とのタックルや空中戦で遅れを取ったことはありません。

しかし,あまりに献身的で激しすぎるプレイは,徐々に彼の体を削っていきました。

怪我に苦しむ姿を何度も見ました。
何度も何度も顔をゆがめて苦痛に耐えました。
怪我と闘いながら,誰よりも激しくプレイを続けていました。

たくさんの選手たちが今のFC鈴鹿ランポーレを作ってきました。
原祥太郎選手がこのチームで果たした役目は少なくはありません。
いろいろな波乱があった時も,本当に大黒柱としてチームを支えてくれました。

試合中には誰よりも厳しい声を出していました。
裂帛の気迫は,味方を鼓舞し,気合いを漲らせました。
その顔は怖いくらいでした。

だけど,原選手の事を思うと,やっぱり笑顔が思い浮かびます。
笑っているハラショーが最高です。

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写真を見ていると,言葉がありません。

引退という選択は,サッカー選手として過ごしてきた彼にとって,とても辛いことだったと思います。

サポーターとしてナカニシができることはたった一つです。

祥太郎!
ガンバレ!
応援しているぞ!!

これからの人生に幸多きことを,心の底から祈っています。

長い人生で元気が出ないことがあったら,FC鈴鹿のスタンドに来てください。
カニシは必ずそこにいます。
そして,原祥太郎のためならば,いつでも全力で君の応援歌を歌おう。

ガンバレ!
ハラショー。また会おうぜ!!

ではまた。