VictoryCross

アトレチコ鈴鹿クラブ(JFL)のサポーターブログです。

純平アレアレ!

みなさんこんばんは。

ファン感謝デーの前に,矢野純平選手の退団が発表されていました。
しかし,ナカニシはブログに書きませんでした。
純平との付き合いは7年になります。
いえ,やっぱり8年です。
その純平のブログを書くのに,彼の口から退団の言葉を聞き,その顔を見ないうちに書くことができませんでした。



矢野純平が鈴鹿に来たのは,2010年です。
東海1部に昇格したこの年,一気に選手が増えて35人近くいたと思います。
初試合も,よーく覚えています。
純平の母校である浜松大学(現,常葉大学浜松キャンパス)戦です。
最初の印象は,とても早いけど,体が小さく細い選手だと思いました。
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2011年。
3トップの右側のフォワードで出場してたと思います。
本当に良くしゃべる選手で,なんか文句ばっかり言ってました(笑)。
どちらかと言うと尖がった選手でした。
当時は,「赤から」というお店でアルバイトをしていて,「雑炊の神」と自分で言ってました。
この年の得点パターンは,前線からの鋭いプレスからのショートカウンターでした。
前線からのプレスは,純平の得意技です。
一瞬で距離を詰めて,ボールを奪い取る姿に,ナカニシは叫びました。
「そのボールは純平のもんだ!」
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2012年。
この年も純平は大活躍で走りまくりました。
もうだれも純平の事を,体が小さくて細い選手とは言いませんでした。
そして,リーグ最終戦の,岐阜セカンド戦。
1-1の同点。試合時間は残り僅か。鈴鹿コーナーキック
いったんは相手ゴールキーパーに跳ね返されたボールを,最後に蹴りこんだのは矢野純平でした。
ゴールを決めてから,純平は一直線にサポーターに走ってきました。
あの時の。あの場面の。あの感情は,ナカニシの一生の宝物です。
そして・・・シーズン終了後,26人いた選手たち,ほとんど退団してしまいました。
チームは崩壊寸前でした。
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2013年。
いろいろ悩んだと思いますが,純平はチームに残ってくれました。
チームの中心選手がごっそりと抜け,純平がチームを引っ張るようなシーズンでした。
この年,ボランチで獅子奮迅のプレイをしていました。
しかしこの年,ナカニシは諸事情により約半年,試合会場に来ませんでした。
後から聞いた話では,純平は「ナカニシさんはきっと帰ってくるから頑張ろう」と言ってくれていたそうです。
シーズン終盤,ナカニシはスタンドに戻りました。
そして,戻ってきたナカニシが純平にどんな想いでコールしたか分かりますか?
この年,純平は,年間victorycross大賞を受賞しました。
カニシから副賞のキスが贈られましたが,これはもらってもらえませんでした。
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2014年。
チームに純平の姿はありませんでした。
純平は,島根県にあるデッツオーラ島根に移籍しました。
和歌山県で行われた全国社会人選手権で,デッツオーラ島根でプレイする純平に横断幕を掲げました。
そして鈴鹿の地酒「鈴鹿川」をプレゼントしました。
その年,鈴鹿は2度目となる地域決勝に進出しました。
山口県で行われた,その大会に純平が試合を見に来てくれました。
カニシは,純平がサポーターの後ろから応援を見ているということを意識せざるを得ませんでした。
純平,俺たちの応援はどうだ???
純平は鈴鹿にいませんでしたが,ずっと鈴鹿のことを忘れずにいてくれました。


2015年。
純平が鈴鹿のセレクションを受けるというニュースを聞きました。
しかし,久しぶりに見た純平のプレイは,涙が出るほどダメでした。
怪我やコンディション不良により,稲妻のようなスピードは無くなり,炎のような闘志も感じられませんでした。
純平・・・無理かもしれない・・・。
監督の交代もありましたが,恐らく試合には出られない,マネージャー兼務かもしれないという条件で,チームに入る事ができました。
そして夏ごろ・・ギラッギラの,ボーボーに燃えている純平が帰ってきました。
日ごとに出場時間が増えて,左サイドハーフでスタメン出場するようになりました。
スピードも闘志も,バネのような肉体も。
サポーターの仲間が言いました。「純平が帰ってきた!!!」
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2016年。
JFL昇格のため,鈴鹿は大きな補強をしました。
素晴らしい選手がたくさん入ってきて,選手間の競争も激しくなりました。
でも,凄い選手たちの中に混じっても,純平は試合に出続けました。
献身的な動きはさらに磨きを増し,貪欲にボールを追う姿勢は初年度と全く変わりませんでした。
でも,昔よく言っていた文句や悪態は,純平から聞かれなくなっていました。
なんか純平が大人になった気がしました。
試合後には,気さくにサポーターに声をかけてくれました。
大人になっても純平は純平でした。
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2017年。
前年にとても悔しい思いをしました。
そのため,チーム全体が燃えていました。
純平のポジションにも,いろんな個性を持つ良い選手たちがそろい,徐々に出場機会が減りました。
純平のプレイが衰えたわけではありません。
地域CLの1次ラウンドで,サポーターが横断幕を反対に張ってしまいました。
それをスタンドに言いに来てくれました。
スタンドを一番見てくれていたのは,純平だったのかもしれません。
サポーターを一番見ていたのは,純平だったのかもしれません。
その時ナカニシはそんな風に思いました。
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出場試合は130試合(歴代3位)。
得点は26点。
2013年にvictorycross大賞を受賞。

ずっとサポーターと共に闘ってくれました。

笑顔も涙も,たくさん共にしました。

よくしゃべるけど照れ屋で,ほめられるとすぐに「自分は下手なんで」と言いました。



もうサッカーはやらないそうです。

オッオー,オオオッオッオー,ジュンペイアレアレーーー!
(ジューンペイ!アレアレ!)
オッオー,オオオッオッオー,ジュンペイアレアレーーー!

純平,ありがとう。

純平,おつかれさん。

純平,また会おうぜ!
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ではまた。