VictoryCross

アトレチコ鈴鹿クラブ(JFL)のサポーターブログです。

榊親平。俺たちの誇りと共に。

榊の記事を書くに当たって,ナカニシは冷静ではいられません。

濃密な時間を,これだけ長く共にしてきた榊が,チームから退団するという事について,やっぱり少し凹んでいます。
なので,このブログを,ナカニシはサポーターではなく,VictoryCrossの代表でもなく,ただの1ファンとして書かせてください。
以下は,敬称略で書きます。



カニシが榊と出会ったのは,たぶん,平成21年2月のホンダアクティブランドだと思います。
鈴鹿にサッカーチームができると聞いて,初めて練習を見に行きました。
練習する選手達を,ナカニシはネット越しに食い入るように見ていました。
寒くて寒くて仕方がありませんでしたが,サッカー選手が目の前にいるという状況に,自分自身ちょっと浮かれていました。

練習は夜の7時からでしたが,仕事で遅れて入る選手も何人かいました。
カニシが練習を見ているのに気がつくと,「こんばんは」とみんな挨拶してくれました。
カニシも「がんはってください」と言ったと思います。
サポーターは,こんな時なんて言うのか分かりませんでした。
選手達はナカニシと比べてずいぶん年下でしたが,どういう風に話して良いか分からなかったので,敬語でしゃべりました。
だから,ナカニシは今でも選手と話す時は,敬語で話します。
なんか,ボリビアの選手とか,猛烈に怖そうなセンターバックとか,キレキレで「ショウ」と呼ばれている選手がいました。
実は,この初練習の時に榊を見ているはずですが,ナカニシの記憶にありません。
個性が強い軍団の中で,榊は地味にプレイしていたはずです。



2009年(平成21年)。
チームが鈴鹿に移動してきた初戦の三重県社会人サッカー選手権は,第3グラウンドで行われたと思います。
カニシはまだ,声を発する事もできず,旗も,横断幕も,観客も,何にも無い人工芝の一番前で試合を見ていました。
人前で声を出すのも恥ずかしかったですし,根は割とクールなナカニシは,声を出す必要性すら感じていませんでした。
榊は,当時背番号6番で,右サイドバックだったので,ナカニシの目の前でプレイすることがありました。
そして,当時の監督である木村文治監督に,とにかくよく怒られていました。
サイドバックに,木下謙一というサイドバックの権化のような選手がおり,それと比べると榊のプレイは地味でした(笑)。
この年,チームは全社に出場し1回戦で敗れました。
以前にもブログで書きましたが,その全社会場は千葉市原です。
今まで内緒にしていましたが,ナカニシが生まれて始めて泣いたのは,1回戦で負けた夜,名前も覚えていない中華料理屋の前です。
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2010年(平成22年)。
榊はキャプテンになりました。
前年キャプテンを務めていた大久保龍太が,急に坊主頭になって,3月まで契約更新が行われず,背番号が4から15に変わりました。
チーム内では,いろいろなことがあったと思いますが,ナカニシにはそれを知るすべも無く,どうする事もできませんでした。
その年は,選手が38人もいて,出られない選手達の不満とか,監督と選手の間に立ったりとか,榊はキャプテンとして大変だったと思います。
榊は,右サイドバックボランチで主に出場しました。
当時のセンターバックは,大柳茂,大久保龍太,森本一樹,村田雅則,原祥太郎という,そうそうたる面々でした。
ボランチの際には,曽根祐一がペアになることが多かったはずです。
ゲームメーカーとして目立つ曽根と比べて,榊はやはり縁の下の力持ちのようにコツコツとチームを支えました。
シーズン途中で木村監督か解任されました。
直前の試合で,ナカニシたちサポーターは暴言などの騒動を起こしていたため,ブログが炎上するなど,ハチャメチャな状態になりました。
選手達にも動揺があったと思います。その時,木村監督と共に退団した選手もいたくらいです。
しかし,キャプテン榊は,そんな中でもチームを支え続けました。
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2011年(平成23年)。
それまでセンターバックだった,村田雅則が右サイドバックに移り,榊がセンターバックに入りました。
今まで,ゴリゴリのセンターバックを見ていたナカニシは,彼らよりも,少し体の小さい榊が,センターバックをするのが,最初ちょっと心配でした。
ある日,同じ大学の後輩,横山和也が言っていました「ナカニシさん親平さんはセンターバックが本職なんですよ」
えっ,右サイドバックじゃないの?本職センターバックなの?
当時のナカニシは,そんなことさえ知りませんでした。
榊のセンターバックのプレイを表現するのに,最もふさわしい言葉があります。
それは,「神の子」というニックネームです。
異常なまでの試合を見る視野の広さと,その危機察知能力,そして対人で負けない強い気持ちと,それを裏付ける足元の強さ,そして神出鬼没な・・・。
それが神の子です。

これまで榊のプレイを地味だと思っていた自分が恥ずかしくなるほどでした。
榊のプレイは地味なのではありません。
地味に見えるほど,確実で完璧だったんです。

もう一回言いましょう!
榊のプレイは地味でもセーフティでもないです。
簡単にプレイしているように見えるだけで,本当はそうなるように先に動いて準備していただけなんです。

試合中に,相手のフォワードが攻め込むと,ナカニシは胸を張って,こっそり言います。
「悪いな,そこには榊がいるよ!」
危ない時には,榊がいました。絶対に。
スタンドの上から見ているサポーターですら見えていない2列目から抜けてくる選手も,榊には見えていました。
榊の手のひらで試合が行われているようでした。
シーズン最後の試合は名古屋グランパス戦でした。
夢のような時間を,ナカニシは選手達と共有しました。
そして,この年,榊親平は,年間victorycross大賞を受賞しました。
榊が受賞するのは当然です!それほどのパフォーマンスでした。
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2012年(平成24年)。
このシーズンは鈴鹿の大躍進の年でした。
大久保龍太-榊親平のセンターバックに,ボランチの原祥太郎の3人が作り上げたトライアングルは,剛と柔の完璧な組み合わせでした。
今年の鈴鹿もそうですが,ディフェンスが安定しているチームは強いです。
鈴鹿は,最終戦で岐阜セカンドを破り,初めて地域決勝(現在は地域チャンピオンズリーグ)に進出しました。
大分県の中津で行われた大会は,FC鹿児島(現,鹿児島ユナイテッド),FC相模原,ファジアーノ岡山ネクスト(現在は解散?),という,今見ると,めちゃくちゃ強いメンバーでした。
ただ,ナカニシはぜんぜん対戦相手のことを知らず,鈴鹿なら絶対に勝てると信じて,大分中津に愛車の軽自動車ブラックパール号で乗り込みました。
結果,3試合で0得点11失点。
鈴鹿はめちゃくちゃに負けまくり,大量の得失点差を相手チームに与えました。
そのため,ワイルドカードも同組から出るというボロ負けでした。
そして,その年の年末,大量退団が起きました。
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2013年(平成25年)
主力選手のほとんどが退団しました。
大久保,竜二,木下,中村,久保田,ブルーノ・・・,
新年の練習開始時には,選手が4人しかいませんでした。
その後,年が明けてから何人かは契約更新をしたものの,大半の選手が新入団選手となりました。
セレクションは3度行われましたが,参加者が集らず3度目は中止となりました。
カニシはフロントと監督と話し合う場を持ち,長い時間話し合いました。
三重県社会人選手権でヴィアティン桑名に敗れ,全社も天皇杯も出場できませんでした。
榊は,そんな中で黙々と練習を続けました。グチひとつ言わず,急造のディフェンスラインに指示を飛ばしていました。
前年の地域決勝で地獄を見た残留選手と,新しく入った選手達の間に温度差があるのは,見ていて分かりました。
オフの間に,ナカニシはフロントと話をしましたが,いろいろあって(詳細は長くなるので省略),ナカニシは結果的に5月のリーグ開幕戦から,サポーター活動を休止しました。
期限を定めていなかったので,このままサポーターを辞める事も考えていました。
サポーターを辞める用のブログの下書きは,今でもパソコンに保存されています。
榊親平,村田雅則,矢野純平,原祥太郎・・・
彼らが,ナカニシさんは絶対帰ってくると言ってると,風のうわさで聞きました。

カニシは,いろいろ揉め事を起こしましたが,サポーターに復帰しました。
全ては選手を応援するためです。今も昔もナカニシは選手達の事が一番です。
カニシは,誰にでも頭を下げて謝罪しました。
選手と共に苦難を共にしなかった自分が,大バカで情けなく思いました。
そして,榊は,どんな時でもコツコツと,地味に,セーフティにプレイを続けました。
周りが騒がしくても,サッカーをする榊のプレイに曇りはありませんでした。
迷い無く,1点の曇りも無く,鈴鹿のゴールを守り続けました。
その穢れなき姿は・・・神の子でした。

鈴鹿は,前年優勝チームにもかかわらず,この年は降格圏ギリギリの6位で終了でした。
そして,年末に再び,2年連続の大量退団がおこりました。
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2014年(平成26年)
前年末に退団したそのほとんどが,2013年の新入団選手達です。
そして厳しい中でも,チームを支えてきた矢野純平もこの年に退団しました。
しかし,チームは前年の順位を立て直すため,強力な選手を確保しました。
そして,2012年末に退団した選手たちにも声をかけ,伊藤竜二ら何人かが戻ってきました。
たくさんの新入団選手が集りましたが,榊がセンターバックでスタメン+フル出場する事は全く変わりませんでした。
榊のプレイにブレはありません。徹底的に相手の攻撃の芽を摘みます。
実は,榊はほとんど得点をしていません。ナカニシ調べでは,鈴鹿の10年間で6得点です。
オーバーラップもしませんし,コーナーキックから点を取った印象も全然ありません。
本当に,鈴鹿のディフェンスの要として,後ろから支え続けたプレイヤーです。
そして,この年,2度目の地域決勝に出場しました。
山口県の乃木浜で,やっと1勝しましたが2敗して決勝ラウンド進出はなりませんでした。
ちなみに,この唯一の1勝は,松江シティに勝ったものです。
JFLと言うものが,とてつもなく遠く感じました。
敗戦後に,特に榊とは話をしていません。
カニシは,話さなくても分かりました。榊は残ると・・・。
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2015年(平成27年)
この年,チームの運営母体がスポプレに変わりました。
監督も小澤宏一監督に代わりました。
なんかバタバタしながらシーズンが始まりましたが,やっぱり榊は榊でした。
ずっとコンビだった大久保龍太ではなく,この年は,山之内優貴や藤田大道とセンターバックを組む事が多かったです。
でも,やっぱり榊は榊でした。
練習でも,試合でも,大きな声を出して怒る事はありません。でも榊は,あの良い声でたくさん指示を出しています。
「行っていい!」
「やりきれ!」
榊が失点するならば,それはそれで仕方が無いと思えるほど,ナカニシは榊を信頼していました。
そして,大事な試合で,押される場面だと,「榊!なんとかしろ!」と声を張り上げて言いました。
そしてほとんどの場合,榊はなんとかしました。

経営母体が変わったことで,スクールにも大きな影響が出ました。
ほとんどのスクールコーチが辞めた事で,榊の負担が格段に増えました。
でも,大人の事情で経営母体が変わっても,子どもたちにサッカーを教えることに変わりはありません。
厳しい時期だったと思いますが,「いや~,大変ッス」と頭をかきながら,榊は乗り越えました。
そして,今も続くスクールの礎を作り上げました。
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2016年(平成28年)
JFLに向けて,チームの勢いは加速し,選手獲得が盛んになりました。
上のカテゴリーからも選手が移籍してきて,そうそうたる面々となりました。
元からセンターバックとしては背が低いほうだった榊は,控えに回ることが多くなりました。
だけど,急に出場した時でも,榊は全く問題なくプレイをしました。
選手にとって,試合に出て無い状態で,試合に出ていると同様のモチベーションを保つのはとても難しいと思います。
もちろん試合勘も・・・。
しかし,榊に試合勘の鈍りはありませんでした。
榊が出場した時は,ナカニシはあの言葉を言うのを楽しみにしていました。
「悪いな!そこは榊がいるよ!」
バルセロナにはプジョルと言う選手がいました。
イタリアにはバロンドールを取ったカンナバーロと言う選手がいました。
この2人の世界的なディフェンダーは,身長約176センチです。
ほぼ榊と同じ大きさです。
カニシは,そんなことをネットで調べては,絶対に榊は大丈夫だと信じていました。
ディフェンスは身長だけじゃない。榊には必ずチャンスが来る!

3度目の地域決勝に出場しました。
山梨県の富士山麓の1次ラウンドを突破し,千葉市原の決勝ラウンドに向かいました。
そして,1勝1敗の3戦目。この試合に勝てば昇格と言う1戦。
しかし,最後の最後の試合で,ヴィアティン三重に敗れ,JFLに昇格できませんでした。
カニシがいつもピンチの時に「榊!なんとかしろ!」と言うべき榊親平は,その時,ベンチにいました。
彼はベンチから,その敗戦をじっと見ていたそうです。
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2017年(平成29年)
地域決勝で大活躍したキャプテンと副キャプテンが共に移籍し,何人かの選手は退団,引退の道を選びました。
地域決勝の最後の最後まで行ったということは,そこまで勝ちを積み上げる辛さを経験したという事です。
その辛い辛い地域決勝を,再びチャレンジしようと言うのは,それだけの想いと気合が要ります。
選手達にとっては,地域決勝の最後の最後まで行ったというのは,ひとつの区切りだったのかもしれません。
たくさんの選手が鈴鹿を離れる中で,榊の契約更新は年が明けても発表されませんでした。

この年の明けた頃,榊と食事をしました。
カニシはめったに選手と食事をすることはありません。それは榊と言っても例外ではありません。
ただ,何か進退を決心したのだと思って,その場に行きました。
この時点で,彼はまだ退団とも引退とも残留とも発表されていませんでした。
榊は,「来年も昇格のために残留する」と言いました。
本来ならば嬉しいはずですが,ナカニシは逆のことを言いました。
「いやいや,サッカーだけでなく就職とかの活動もしたほうが良いんじゃないか」
「せめて,サッカーをしながら仕事や将来のことを・・・」と言いかけたら,
榊は「僕は中途半端ができないんで,サッカーをやりきります」と,ナカニシの言葉をさえぎって言いました。
そして榊は笑いました。

実は,2016の敗戦は,サポーターとしてのナカニシ自身の心も砕いていました。
サッカーを応援する事に,もの凄く疲れていましたし,楽なるために自分の身の引きどころを探していたのかもしれません。
だげと,榊がやるなら,ナカニシが引くわけにはいきません。
全力の応援を約束しました。
「昨年の3倍の応援する」と言ったら,
榊は「じゃあ僕は30倍がんばります」と言いました。

しかし,榊は,2017シーズンも,ほとんど試合に出られませんでした。
ターンオーバーをしていたと言っても,ファーストチョイスではありませんでした。
だけど,黙々と練習をしている事も,暑くても寒くてもニコニコしながらスクールをやっている事も,榊は何も変わっていませんでした。
試合に出られなくても,グチひとつ聞いた覚えがありません。
用事でグリーンタウンに行くと,「いや~ナカニシさん」と言いながら,バカ話やエロ話をしました。
本当は辛かったです。
カニシは,榊が試合に出ていないことが辛かったです。

この年の地域CLは,栃木グリーングラウンドの1次ラウンドで敗れました。
その場で即座に,ナカニシはサポーターの前で,自分自身の残留宣言をしました。
榊が中途半端できないっていうなら,ヤツは次の年も必ず残留する。
ならば,ナカニシに四の五の言うことは無い。
榊と共に,骨になるまでJFL昇格にチャレンジしよう!!!
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2018年(平成30年)
ほとんどの選手が残留してくれました。
サポーターは初練習の時に「今年もよろしくお願いします」と横断幕を出しました。
榊がニコッと笑うのが見えました。相変わらず地味な感情表現でした。
この年は,過去最高の快進撃が続きました。
選手全体の能力も組織もモチベーションも高く,特に失点の少なさは今まで見た中で最高のディフェンスでした。
辛島監督は,一時,榊をサイドバックで起用しました。
初年度に,散々,木村監督に怒られていたサイドバックです。
しかし,榊はサイドバックを見事にこなしました。
オーバーラップも,押し上げも,攻撃参加も,見事なプレイでした。
榊はこの時のために,サイドバックとして出場できるほど,初年度と比べてプレイの幅を広げていました。
もちろん,センターバックとしても出場しました。
榊が裏を取られる事はありません。
榊のほうが先に動いているからです。
その動きは,全く輝きを失わない「神の子」でした。

しかし,全社京都戦で,2失点しました。
榊のプレイは,誰よりもナカニシが良く知っています。
どのスピードで,どのタイミングで,どの程度いけるか,頭の中で想像がつきます。
この試合の2失点。榊の動きが良くありませんでした。
カニシの知っている榊のイメージと少しズレていました。
榊が少し試合に怯んでいると感じました。
「榊!なにしてんだ!ビビってんじゃねぇぞ!」
カニシはプラスティックのフェンスを握り締めて怒りました。

地域CL1次ラウンドを駆け上がり,決勝ラウンドに進みました。
2戦目のFC刈谷戦に勝利すれば,JFL昇格と言う山場の1戦。
榊は,ベンチにも入っていませんでした。
だから,JFL昇格の瞬間,榊がどこにいて,どんな顔をしていたのか,ナカニシには分かりません。
感動して泣いたのか?
いつもみたいにニコニコ笑ったのか?
長い付き合いのナカニシでも分かりません。
だけど,JFLに昇格した事で,榊はホッとしたと思います。
それほど,榊の肩にはみんなが残した想いが乗っかっていました。
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一番最初に書いたように,
このブログを,ナカニシはサポーター代表ではなく,ただの1ファンとして書いています。
それほど,榊親平の存在は,ナカニシの中で大きいです。

辛い時も,嬉しい時も,辞めたい時も,悲しい時も・・・。
サポーターと選手ですので,一緒の場所にいたわけではありません。
そう考えると,10年間トータルしても,そんなに長い時間一緒に居たわけではありません。
2人で話をした?と言うのも年に数回です。
だけど,スタンドとグラウンドは離れていますが,とても楽しくて濃密な時間を共にしました。

鈴鹿10年間で,出場試合数は168試合です。
名張時代は不明ですが,この出場試合数は歴代選手の中で最高の数です。
俺たちの誇りと共に戦った10年間です。

最初に見た優しい好青年は,優しいだけではありませんでした。
強い気持ちを持つ,芯の強い,根性の座った,良い男でした。

榊親平と共に戦えたことは,ナカニシの誇りです。

本当に一生の宝です。最高の宝です。

榊,ありがとう。

また会おうぜ!

なっ!
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(追記)
カニシの書いたブログに,「ナカニシさん,あれ違います」と,ずけずけ言ってくるのは榊だけです。
間違ってたら指摘してね。速攻で直します。